7月9日は三和土の実習でした。メインはタタキ(土間)の実習なのですが、入り口周りのベンガラ塗りもあわせて行いました。![]() 今回は塾の記録係という事もあり、ノートに書き込む事を重点に参加しました。 ![]() 山砂利と呼ばれる土と石灰を混ぜ、にがりを溶かした水で捏ねた土を撒いて叩いていきます。 ![]() 乾くのに一日から二日かかります。乾いた様子が見てみたいです。 レポートをこれからまとめなきゃ・・・。まとめたらまた続きを書こうと思います。 #
by norikyo1
| 2006-07-10 23:55
| 実習-jissyu-
竹を縄で編み、寝かせた土にわらを混ぜて塗ります。昔はさいとりという役割があったそうです。それは練った土を投げて壁を塗る人間に渡すという仕事。地面で練って、2階の足場の上の人間に渡すのが本来ですが、感触を体験してみるという事で3~5m位の平面で土のキャッチボール・・・。
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by norikyo1
| 2006-06-12 00:32
| 実習-jissyu-
京都の伝統的な町家は両隣の家と壁を共有しているかに見えるほどにひしめき合った町並みをその基本としています。
ですので、四角く家を捉えた時、平面的に言えば、左右に空間は無く、前(表通り)と後ろ(庭)にのみ開かれた空間がある、という事になります。 屋根を降りる雨水が隣家に落ちることの無いよう、常に屋根の勾配は前と後ろにのみ傾けられ、雨水は表通りと裏庭に落ちます。 表通りの公共空間には雨水を川へ導くドブがありましたが、裏庭には家々の庭を貫くドブはありませんでした。 代わりにあったのが庭の中に深く掘られた穴、つくばいでした。 庭の雨水、屋根からの水を全てそのつくばいで受け止めるよう、雨水の動線は考えられ、設計され、庭の地面の勾配は取られていました。決して床下に雨水が入っていかないように。 つくばいと言えば現在では庭に置かれた石の飾り物、という認識が大勢を占めているかも知れませんが、シッカリとその機能を果たすつくばいというのは深く掘られた穴に玉石を敷き詰めて、雨水の地下への浸透を強制的に行うシステムの事です。 ただの穴ではなく、玉石を敷き詰めることで、泥の堆積による機能不全を防ぎ、意匠的にも京都の町家にシックリと映える、京都の町の工夫がそこにはあります。 その当時の飲料水は井戸からのくみ上げでしたが、もちろん、このつくばいからの浸透層と井戸の地下水の層は交わる事はありませんでしたので、衛生的にも問題は無かっただろうと思います。 四方が開かれた空間という立地の建物にはない設計上の苦労があったようですが、このような工夫がある事で、まず、床下への雨水の侵入を防いでいたという事は、目立たない工夫ですが、実はとても重要でした。 床下に湿気をもたらさないという事は、主たる構造体である材木を長持ちさせる必要最低条件であったからです。 まぁ、このつくばい、その機能を維持させる為に、年に1回程度、玉石を全て取り出し、綺麗に洗ってやる必要があったので、現代人のライフスタイルに合うとは到底思えませんが。 #
by norikyo1
| 2006-06-07 04:25
| 座学-zagaku-
前回の投稿から少し時間が空きました。明日は座学の第二回目。入塾式、実習、座学とこれまで3度の講義を受けてきたわけですが、理事長、塾長の思いが熱すぎて、上手にまとめた文章をここに起こすのは非常に骨が折れます。
そこで今回は、僕なりのアプローチでこれまでの講義内容を振り返ってみたいと思います。 --- 現在の暮らしの当たり前、上下水道。 もちろん一昔前は当たり前などではなく、京都の町家もかつてはその時代にあった作りの建物、生活空間でした。 上水道が無いという事は井戸に飲料水、生活用水を頼るという事ですし、下水道が無いという事は、肥溜めがあり、それを汲み取って持っていってもらうシステムがあったという事です。 京都の真ん中の京町家で。 生活・・・、日常の当たり前を振り返れば、当然、上下水道にも想いを馳せねばなりません。このことは世代が高ければ高いほど、当然と捉えることができるでしょうが、若い世代になればなるほど、肥を汲み取って運んでいき、畑にまくという社会のシステムを実感として”当然”とは捉えられないでしょう。 その辺の世代間ギャップを埋めていく事もこういった学習を活かすために考えねばならないことかも知れません。 さて、話がずれましたが、本ブログの本筋は建築です。 家の一番大切なところは・・・・?と聞かれれば、かつての僕なら基礎だと答えていました。 家は地面の上に建っているものですから、大地と家を繋ぐ、基礎部分こそが大切だろうと考えていたのです。 でも、この講座を数回受けていくうちに、もう少し考えが発展したのです。 基礎はやはり大切なのですが、地面そのものと地面に近いところの材木をそれぞれ真剣に考える事が何より大切なのだという事に考え方が発展したのです。 地面・・・ここで、冒頭での上下水道の話に繋がるのですが、上下水道がない・・・ことに下水道が無い状態で、雨が降った時に雨はどのように流れていくでしょう? 水は決まった形の無いもの。何処へでも入り込みますし、傾斜の無い所に到達すれば留まり、澱みます。 その、水が停滞する場所が家、建造物の基礎部分だったなら、どうなるでしょう? 材木は、湿度の状態の良い状態であれば、その材木がかつて木々として生きていた年数分以上は、その役割を担い続けると言いますが、過剰な湿度や水に晒されていれば、数ヶ月で朽ちてしまいます。 過剰な湿度を家に与えない工夫、それが庭にある”つくばい”でした。 -続く- #
by norikyo1
| 2006-05-09 23:53
| 座学-zagaku-
第一回目の座学は教科書に沿った講習でした。
教科書は"町家再生の技と知恵"という本です。 第一回目という事で、この教科書の最初にある、”第1章<概説>京町家とは何か”を読み解く講義でした。 ・・・。またもや、僕は講義の開始時間に遅れるという失態を犯してしまったわけで、最初の最初を聞き逃した愚を後悔していますが、仕事の都合上、それはいかんともしがたいです。 さて、文章をまとめてきれいに書くのは骨が折れますので、ここからは走り書きのメモを掘り起こしていく、という作業にしようかと思います。読みにくいとは思いますが、どうかご容赦下さい。 以下、講義中に僕が面白い!と感じたこと。 ・京都という都市の街づくりにおいて、軒下というのは元来、公共空間であった。それは法律の定める所であったが、京町家には犬矢来や駒寄せがある。これらは他人を軒下に入れさせないという京都人の気質であった(のかも知れない)。 ・日本の都はなぜ簡単に移動できたのか?(ex,平城京、長岡京、平安京) →都とは道と塀があること。道と塀さえ作ればそれを都とすることができた。 ・10世紀前後、律令制のほころび(天皇を敬わなくなり、中央集権が崩れる)に伴い、塀が無くなっていった。 ・道によって区切られた”町”は平城京では道の芯から道の芯の幅が40畳(120m)。平安京では町の内のりの幅が40畳(120m)。 つづく #
by norikyo1
| 2006-04-25 18:50
| 座学-zagaku-
4月5日の入塾式で初顔合わせ、4月9日の見学会、そしてその晩の親睦会を経て、昨日の座学に参加してきました。
京都の町屋をお借りしての開塾。その佇まいには少し似つかわしくないプロジェクターとパワーポイントを使っての講義。・・・講師、塾生ともに熱のこもった夕べの勉強会は動き始めたばかりのぎこちなさと日中の仕事の疲れが交じり合って、参加者個人々々、いささかペースを掴みきれていない様なスタートだったように思います。 まだ、場の空気が出来ていない、そんな印象ですね。 でも、参加者は全員真剣な眼差しで講義に耳を傾け、懸命にメモを取り、時には質問し、その質問は講師の深い造詣の一端を引き出します。 ・・・いわゆる脱線かもしれませんが・・・。 学校の授業でもその脱線が面白かったように、この棟梁塾も講師の脱線講義がとても面白いです。いかに講義を脱線させるかが、塾生の質問の”肝”かも知れないな、なんて思いました。 さて、始まったばかりのこの棟梁塾。まだ、スタートラインを一歩踏み出したばかりですが、もう既に「ふわぁ~、面白いなぁ。」と何度ため息を漏らしたことやら・・・。 塾生は総勢10名。 大工6名、瓦屋2名、設計士1名、板金屋1名という構成です。 僕は募集職種には無かった板金屋。 用語等の理解力にもっとも難のある人間ですが、置いていかれないように頑張っていこうと思います。 大工さん達、町屋建築の要の人間とは違う視点で、この講義を受けている事と思います。 このブログではそんな僕の面白いと思った事を綴っていくと共に、同期の塾生と知識、智恵を共有したり、講義内容の理解を補い合ったりする場にしたいと思います。 もちろん、どなたでも気軽にコメントを残していただければ幸いかと思っています。 どうぞ、よろしくお願いします。 by Norikyo #
by norikyo1
| 2006-04-20 16:18
| 座学-zagaku-
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